筋トレと柔軟

最近、筋トレと柔軟体操を再開しました。以前はジムやジョギングもしていましたが、40代になってからはすっかりご無沙汰です。

そんな中、「塩抜きダイエット」を始めたことをきっかけに、体のメンテナンスも兼ねて筋トレと柔軟に再挑戦することにしました。

理想のスケジュール

三日坊主のプロである私ですが、今回は平日の月~木だけしっかりやることに決めました。以前は「週末にやればいい」と考えていたのですが、ついサボってしまいがちだったので、「平日の限られた時間にきちんとやる」という新しいサイクルに変更。今のところ順調に続いています。

また、週末に気兼ねなく過ごせるのも大きなメリットです。「週末にやればいい」ではなく、「月~木に集中すればいい(しかも金曜はできたらやるくらいでOK)」と思うと、気分的にも楽になりました。
実際、週末になると「やらないといけない」ことより「やりたいこと」がどっと出てくるのが現実ですからね。

もともと体が硬いのですが、仙骨のストレッチや柔軟をしていると、頭ではなく体の奥から「動かしたい」という欲求が湧いてきていることに気づきました。体を動かすことで、ものの考え方まで変わるのかもしれません。

ちなみに仙骨のストレッチを続けていると、太ももの奥から「弾む」ような感覚が生まれ、心地よさを感じられるようになりました。これからも続けながら体の変化を見守っていこうと思います。

自分の「生命力」に謙虚になる

日々のトレーニングを続ける中で気づいたのは、筋トレや柔軟を通して自分の「生命力」に対して謙虚な気持ちが芽生えたことです。

若い頃と比べて結果がすぐに出ないことで、かつて自分が生命力に満ちていたことに改めて気づかされます。そして、その力が衰えることで、自然に「老化」という体の負の最適化が進んでいたのだと実感しています。

筋トレや柔軟をすると、体の中に「弾み」を感じることがあります。それはあたかも、外側の肉体に内側から新しい体が重なるような感じです。生命力が体の隅々にまで行きわたり、繋がっているイメージに近いかもしれません。

「生命力」を器に満たす身体の「繋がり」

スピリチュアルな視点で言えば、この「もう一つの体」はエーテル体や霊体なのかもしれません。若い頃に満ちていた「生命力」が、このもう一つの存在だったのでしょうか。

人間には等しく「生命力」が備わっていますが、若い頃は柔軟性や代謝が活発で、その生命力が体に行きわたっていました。しかし、年齢とともに体が硬くなると生命力の伝達が鈍くなり、動きも鈍化し、「できないかもしれない」と未来の行動も制限しがちです。

老いという自然の流れで負の連鎖が続いていくのかもしれません。そのため、筋トレや柔軟といった骨格や筋肉の「繋がり」をトレーニングすることは、体に生命力を満たし、メンタリティにも良い影響をもたらすと感じています。

今の私にとっての目標は、この「生命力の弾み」を維持し、さらに敏感に感じ取ることです。

「もう一人の自分」とコンタクトする?

最後に、個人的な話ですが、私は非常に体が硬く、開脚も思うように進まず、何度も「もうやめようかな」とモチベーションが下がることもあります。

それでも続けていると、体の奥からもう一人の小さな自分が現れるような感覚があります。子どもの頃から今も変わらない、そんな「小さな自分」が、体を曲げようとする私につながりを持とうと頑張っている気がするのです。

私からはブランコに乗りたいけど乗れない子どもを助けるような感覚になり奇妙な一体感が芽生えました。ゆっくり息を吐きながら柔軟を続けると、少しずつ体が楽になり、柔軟をしている実感がより深くなります。

こうしたイメージが自然に湧くことで、柔軟に対するネガティブな気持ちも少しずつ軽減されています。

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