安房神社に参拝するたび、思うこと

雑記

千葉県でも屈指のパワースポットとして知られる安房神社。その神聖な雰囲気や、辿り着いたときの高揚感には、毎回胸を打たれます。

けれど、毎度足を運ぶたびに、少しだけ残念に思う光景があります。

境内に静かに佇む戦没者の慰霊碑――あれほど多くの参拝客が訪れているにもかかわらず、そこに手を合わせる人はほんのわずかしかいません。

もちろん、現世利益を願う気持ちはよく分かります。私自身、年甲斐もなく「どうにか人生楽して成り上がりたい」と思いながら手を合わせているような俗物です。

でも、長い列をなす本殿の参拝客とは対照的に、慰霊碑の前はいつもひっそりとしています。それを見るたび、心のどこかがチクリとするのです。

安房神社の境内には、二つの慰霊碑があります。

ひとつは、第二次世界大戦中に東南アジアの戦地で命を落とした海軍落下傘部隊のもの。もうひとつは、日露戦争に従軍し、その命を終えた軍砲術学校・第三期兵科予備学生のものです。

「護国」という大義名分はありました。でも、彼らほど「明日という現世の幸福」を強く願っていた人たちは、ほかにいなかったのではないかと思います。

その願いは、私たちが手を合わせて祈るものより、ずっと切実で、深く、重く、そして叶うことのなかった願いでした。

私たちが自分自身の幸せを願うことは、決して悪いことではありません。むしろ、それは人間らしい、自然な営みです。

だからこそ、ほんの少しだけ――自分の願いを祈る前でも、後でも――その祈りの一部を、彼らのために手向けてみませんか。

彼ら一人ひとりの命が、今日の私たち一人ひとりの「今」へとつながっている。その事実に思いを馳せてほしいのです。

この瞬間は、決して過ぎ去った歴史の断片ではなく、いまも続く日々の連なりの中にあるのだと思います。

どうか、手を合わせてください。

そして願わくば――
彼らが命を散らしたその日々から続く、あなた自身の人生が、
かけがえのない意義あるものであることを、心の奥で噛みしめてはどうでしょうか。

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